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民藝夏季学校佐久会場

 更新が滞ってすみません。
 先週金曜日から日曜日までの三日間、佐久市望月で行われた民藝夏季学校に、スタッフとして参加してきました。
 民藝夏季学校については、私はちゃんと理解していないのですが、民藝運動にかかわる人たちの勉強と交流の場のようです。毎年夏になると、全国の数か所で行われていて、もう数十年も続いている民藝の夏の恒例行事です。
 ふつうは、手仕事の産地で行われることが多いのですが、これといった特色のある産地ではない佐久市で行われたのはなぜか。
 佐久市望月には、多津衛民芸館という民藝運動にかかわりの深い美術館(?)があるのです。私も普段からとてもお世話になっています。
 その多津衛民芸館に集う人たちが中心となってこの夏季学校を企画したのですが、今回の夏季学校では、おそらく今までにはない学びの場になったと思います。それは、ものづくりについて焦点を当てるのではなく、手仕事と平和との関係について考察を深めることと、この望月の風土を紹介することに力を注いだからです。
 望月というところはちょっと不思議なところで、一見ふつうの田舎町なのですが、この界隈ではおそらくもっともよそからの移住者が多く、とくに有機農業が盛んな町なのです。また、この多津衛民芸館に集う人たちの会話がちょっとおかしい。皆さん普通の田舎のおじさんおばさんなのに(というと語弊がありますが、あえて親しみをこめて)、憲法九条がどうだとか、TPPがどうだとか、そんな政治の話題が飛び交っています。また、そういう一見普通のおじさんが、はるかに年下の私でさえ赤面して言えないような夢や理想を語ったりしています。
 私の住む町ではそうではありません。田舎の町というのは、一般的に保守的なところで、だいたい自民党にべったりです。個人的な思いはともかく、国や県からの公共事業や補助金で成り立っているので、時の政権の機嫌を損ねるようなことは言えないのです。ところがここではそうではない、リベラルな土壌があり、それがよそ者をひきつけているのです。
 そしてそのリベラルな土壌の原点にはこの多津衛民芸館の創始者である、故小林多津衛氏がいます。
 白樺派の教師であり、ガンジーやシュバイツァーに思想的な影響を受けた小林多津衛氏は、この地で白樺派の理想主義を広めていきました。そして、その薫陶を受けた人たちはそれぞれ独自の活動を通して、この街の発展に寄与します。ある人は有機農業の先駆者となり、ある人は地産地消のレストランの奔りとなり、あるひとは市民運動を通して住民の自立の意識を植え付けてきました。
 このような、数世代にわたる努力の結果が今、様々なところで花開きつつある町なのです。
 今回の夏季学校ではそういった望月の風土の一端を感じてもらえたと思います。
 また、多津衛民芸館では「平和と手仕事」という小冊子を発行していて、手仕事と平和との関係が大きなテーマとなっているところです。私も、この両者には深い関係があると以前から感じてはいました。例えばガンジーは非暴力でインド独立を導きましたが、その重要な柱には手仕事がありました。イギリスに独占されていた、塩の製造や織物づくりに対抗して、自ら塩を作り、糸車を回したのです。このようなことから、これからの平和で豊かな社会を作るためには、手仕事が重要な役割を果たすとなんとなく思いながら、それをうまく説明することができずにいましたが、今回の夏季学校での、清泉女子大学教授の中見真理さんの講演は、よく整理されていてわかりやすかったです。
 民藝運動というと、滅びゆく手仕事を守る運動だと一般的には理解されていて、それは間違いではないのですが、そもそもその創始者の柳宗悦に、差別の撤廃や、それぞれの地域の特性を認め合おうとする思想がありました。そして、その地域の特性を表しているものが、その土地の民藝なのです。だからこそ、それを守り、発展させようとしたのだと考えられます。
 今回の夏季学校は、手仕事の産地ではない土地で行われただけに、ほかで行われるものとは少し違ったアプローチで、民藝の根幹に迫るような、非常に良いものになったと思います。(自画自賛!)

 
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ネパールで見た、石垣のこと

 もう、ずいぶん昔のことになるが、ネパールに行ったことがある。
 ここで見たものは、一つ一つがとても印象に残っていて、毎日が刺激的だった。
 何もしなくても、道を歩いているだけで楽しい。道端では、網をつくろっている漁師、片手持ちの小さなちょうなでほぞを切っている大工に出会った。奥地に行けば、たくさんの羊を追いながら移動する羊飼い、ロバやラバの隊商、どれも日本ではとっくに滅びてしまった暮らしが生きていた。そういう暮らしの中で、人たちは輝いて見えた。
 そんななかで、石垣を作っているところを何度も見かけた。大きなハンマーで、石を割りながら、ひとつひとつその石を積み上げていくのだ。そういうやり方なので、当然一つ一つの石の大きさも、形もばらばらだ。そして、出来上がった石垣もまっすぐにはならず、微妙に曲がっていたり、波を打っていたりする。
 それを見つめているうちに、これはきっと、本当は、まっすぐ作りたかったんだろうな、という考えが浮かんだ。そうしたいのだけれども、石のブロックの形や大きさをそろえることができないことや、地面の凹凸など、さまざまなことが邪魔をする。その中でできる限りまっすぐをめざしたのがこのような形になったのかもしれないと思ったのだ。
 だとすると、それは人間の、こうしたい、という欲求と、自然のランダムさのせめぎあいの中に生まれた形で、そうやって生まれた揺らぎのある形は、なんとも言えず、美しかった。
 手仕事の美しさは、こういうことではないかと思う。忘れられない風景だ。

もう一度、民藝館展でみた芭蕉布について

 前回、田島隆夫さんの織など、という題名で、などとつけたにもかかわらず、そのほかのことについては書かずに終わってしまいました。きょうはその、「など」のところで書こうとしたことについて。
 今年の民藝館展の奨励賞を受賞した、大城あやさんの芭蕉布のことです。
IMG_0193_convert_20131206225614.jpg
 これは、審査員の先生が、一生に一度の仕事だと絶賛していたのが印象に残っていたので、よく見てみたものです。
 でも所詮布に関しては素人なもので、薄くて軽やかで、生成りの自然な色のむらが美しいといった以上の感想は得られませんでした。
 しかしその後、知り合いの織の作家の方がfacbook上で解説してくれたことによると、とんでもない意欲作だということがわかったので、書いておくことにしました。
 通常、布を織るための糸は、繊維を何本かまとめて撚りを掛けたものを使用しますが、この布には撚りを掛けていません。芭蕉布の常識では、無撚りの糸では織ることができないといわれていたそうです。
 それだけならば、単に技術上の挑戦でしかないのですが、(それだけでもすごいことではありますが)大城さんがそれをなぜ行おうとしたのか、そこには深い理由があったのです。
 確かに今の芭蕉布は撚りを掛けたものを使うのが当たり前となっているのですが、古いものを調査すると、かつては無撚りの糸を使うほうが当たり前だったらしいのです。琉球が日本の文化に影響されることで、糸に撚りを掛けるようになっていったということです。無撚りの糸で織った布と撚りをかけた糸で織った布で、作られる服がどのように変わっていくのか、ちょっと自分にはわかりかねるのですが、この布は、もともとの琉球の文化がどんなものであったのかを確認するための仕事だといえるでしょう。
 時代が下るにつれて、各地が独自に育んできた文化は他の文化とふれあい、影響しあってまた新しい文化を生み出して行きます。それは悪いことではないのですが、その土地にもともとあったものは、その土地の風土に最も調和したものであり、他の文化からの影響によって、それが薄れてしまうこともよくあることだと思います。特に、沖縄と日本のように、政治的に平等でない関係の場合は悪しき影響となってしまったこともたくさんあったことでしょう。
 糸を撚るか、撚らないか、ささいなことといってしまえばそれまでですが、工芸はこんな些細なことで、作るための工程も、出来上がったものも大きく変わってしまいます。そしてそれが服のデザインや着こごちまで影響するとしたら、沖縄の人の精神性にまで影響を及ぼしているかもしれない。
 だからもともとの芭蕉布がどんなものだったのか、それを復元することは、琉球の文化や風土を確かめるためのひとつの大きな手がかりで、そういった意味でこれはとても大きな仕事なのです。
 ということを知り合いから教わったことから思いました(笑)

田島隆夫さんの織物、など

 日本民藝館展で、同時に展示されている、田島隆夫さんの織物。
 織については門外漢でありますので、正直に言うと、何がそんなにすごいのかわからないのですが、この人の織物は、あの白洲正子さんの文章にもたびたび登場して、絶賛されています。
 私も、白洲さんの文章を読んだことが、この人のことを知るきっかけでした。それ以来、ずっと実物を見たいと思っていたのですが、やっとこの展示を見ることでかないました。
 白洲さんによると、田島さんの織は、地機、またはいざり機という、一般的な高機よりも原始的な機を用いて織っています。普通の高機では、縦糸の張具合はあらかじめ決められてしまうのに対し、地機では自分の腰で縦糸を引っ張るので、張具合を自在に変えることができます。それゆえ、糸をいたわりながら織ることができるのだそうです。
 また、田島さんが使っていた糸は、養蚕農家が、くず繭で自家用の布を織るためにつむいだ糸で、太さが不均一で、使うにはとても大変なものだったと想像できます。ただ、このような糸は、つむいだ糸をそのまま枷にかけることはしていないので、糸が自由に呼吸することができるのだそうです。糸が生きている、ということでしょうか。
 このような糸をいたわりながら織った田島さんの布は、とても着心地がいいのだそうで、白洲さんは、織りあがった田島さんの布を手放さなかったという話も聞きました。
 残念ながら、今度の展示では、当たり前ですが手に触れることはできず、よくわかりませんでしたが、こんな風にものづくりをしたいものです。
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こういうものづくりがしたい

 どんなものづくりをしたいのか、を問われると、真っ先にあげたい人がこの方。
 葉山で塗師をされている、大先輩の伏見さん。竹に漆を施したカトラリーは有名です。
 もちろんそればかりではなく、お椀も素晴らしいです。
 you tubeなどに、製作工程をたくさん公開されているので、ぜひ見ていただきたいですが、この人の箆さばき、刷毛さばき、思わず見とれてしまいます。 
 そのうち、二つほどご紹介。


プロフィール

ルーシェンカ

Author:ルーシェンカ
長野県の小海町で家具を製作しています。
家具のこと、木のこと、森のこと、その他の身の回りのことを紹介していきたいと思います。
メールアドレス atsushitakahashi@nexyzbb.ne.jp

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