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父のこと、ルーシのこと

 私の父は、私が幼いころから仕事で海外に長期で出張したり、単身赴任をしていたりで、家にいることがあまりありませんでした。
 たまに家に帰ってくることをとても楽しみにしていた記憶がありますが、帰ってくるとその期待を裏切られることが多かったです。あの世代の人たちの多くに共通することだと思いますが、男は仕事をしてナンボというか、家庭のことは、母に任せておけばいいという考えだったのかもしれません。よくわかりません。
 また、最近知ったのですが、とても複雑な家庭に育ったために、家庭というものがどのようなものなのか、あまり知らなかったのかもしれません。
 とにかく、家庭や子どもに接する態度はとてもぎこちなく、どのように相手をすればいいのかわからず、戸惑っているように見えました。
 そんな父と一番長く暮らしたのは、私が小学6年から、中学3年までのこと。父の赴任先のモスクワでのことです。当時はソ連といっていましたね。
 そんな父は、今までの時間を取り戻そうとするかのように、家に帰って食事をすませると晩酌をしながら、息子を呼んで話をしました。はじめは喜んで付き合っていた私も、すぐにいやになりました。あまりにも一方的で、理屈っぽく、しかもその理屈は、同じところをぐるぐると回っているだけだったからです。
 そんなせいか、私はいつも、心の底に重苦しいものを抱えていたと思います。
 でも、ここでとても素晴らしい出会いもありました。それはボルゾイ犬のルーシです。
 私が日本に帰る数ヶ月前にこの子はうちにやってきました。それからこの子とは、毎日毎日夢中になって遊びました。家に帰ると、何度も何度も飛びついて全身で喜びを表現してくれるので、家に帰るのが楽しみになりました。
 家族のみんなもルーシのことが大好きでした。父も妹もルーシを溺愛しました。
 母は、ルーシのことをいつも嫌いだといっていましたが、ルーシに対していやな顔を見せたことはありません。それどころか、ルーシの気持ちを一番わかっていたと思います。母はきれい好きなので、ルーシの毛や、よだれで家が汚れてしまうことがいやだったのだと思います。母は、毎日そのために、今までの倍は掃除をしなくてはなりませんでした。母はそうやっていやな気持ちを包み隠して私たちやルーシを支えてくれました。
 その後、私は一人で日本に戻って高校に行くことになりました。家を出ても重苦しい気持ちは離れず、ルーシに会いたい気持ちでいっぱいでした。
 妹もその2年後に家を出て日本の高校に行きました。両親とルーシもそろって日本に帰ったのはそのさらに2年か3年たったあとです。
 そのころ、私は地方の大学に行っていたため、家族が日本にそろっても、一緒には住みませんでした。父とは口もききたくありませんでしたが、ルーシに会いたくて家にはたまに戻りました。
 今考えると、私はルーシを本当に愛していたでしょうか。自分の中の重苦しい気分をルーシにぶつけていただけのような気がするのです。ルーシは年をとるにつれてだんだん気難しくなっていきました。
 私はそういうルーシのことも大好きですが、人が大好きで、知らない人にさえ尻尾を振って飛びついて、びっくりされていた子どものころのルーシを思うとき、自分の愛し方が間違っていたような気がしてならないのです。
 大学を卒業する直前、私は交通事故を起こして、2ヶ月も入院しました。連絡を受けた父はすぐに飛んできてくれて、必要なことをすべてしていってくれました。
 だからといって、長年のすれ違いを解消することはそう簡単には出来ません。私は感謝の気持ちも述べることなく、その後も自分探しの旅を続けました。有機農業の手伝いをしたり、海外に貧乏旅行に出かけたりしました。
 そして木工に出会って、何年かそれをしていくうちに、だんだん心の底の重苦しい気持ちがなくなっていきました。今までしてきたことは、みんな無駄ではなかったと今では思えます。たぶん、私は自分のするべきことを見つけたのでしょう。
 父は、夢や理想ばかりを追いかけている息子に、いつしか何も言わなくなり、それどころか精一杯の応援をするようになりました。私はそこまでしてもらいながら複雑な気分でいます。
 「それは本当にやりたいことなのか」と小さいころよく言われました。父に習い事をせがんだときのことです。そんなことはわからない自分は、その言葉に負けつづけていたと思います。
 今振り返ると、私はそれを探しつづけて、今では進むべき道を見つけることが出来たとはっきりいえます。
 ただそういう父はいったい何をしたいのだろう。いったい何をしたかったのだろう。
 人生の大半を仕事に捧げながら、その仕事に生きがいを感じていたとは到底思えず、本来持っていたはずの夢や理想をずっと押さえつづけてきました。そうやって自分を犠牲にしながら、仕事をすることが家族のためだとかたくなに信じてきたのです。幼いころからそれに対する疑問を訴えつづけてきた私の声は、いまだに微塵も届いていません。
 私のすることをいつも応援してくれて、それはとてもありがたいことなのだけど、そんなことより父の本当の姿が私は見たいのです。
 ルーシは数年前に13歳で亡くなりました。年をとってもかわいくて、亡くなったあとも必ず家族の間では話題に上ります。ずっと父と息子が冷戦状態にあった中で、ずっと家族を繋ぐ絆でありつづけました。それは今でも変わりません。
 
 たぶん、これが私の中にある一番大きな物語です。
 私は昨日38歳になりました。もう人生の半分、もしかしたら過ぎているかもしれません。まだ間に合ううちにこの物語を完成させて、新しい物語を作っていきたいです。
 
 
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プロフィール

ルーシェンカ

Author:ルーシェンカ
長野県の小海町で家具を製作しています。
家具のこと、木のこと、森のこと、その他の身の回りのことを紹介していきたいと思います。
メールアドレス atsushitakahashi@nexyzbb.ne.jp

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