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個展が決まりました

 まだ来年の話ですが、山梨県の大泉にある、ギャラリー「花のワルツ」さんで、個展をさせていただけることになりました。初めての個展です。
 こちらを訪れたのは、実はまだ2回目です。1度目は、まったく通りすがりで入ったのですが、そこにおいてあった椅子が素晴らしく、そのことをきっかけにこちらのオーナーさんとずいぶんいろいろなことをお話することが出来ました。
 それで先日、ふと思い立ち、いくつか作品を持ってうかがうと、オーナーさんも気に入ってくれ、じゃあ、個展をやってみない?ぜひお願いします、と今にして思うと果たしてこれでいいのかというくらいあっけなく決まってしまいました。
 話が進む時ってこういう感じなのでしょうか。今まではどんなに頑張ってもぜんぜん動かないことのほうが多かったのに・・・。
 さあ、がんばらないとね。
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4年に1度だよ!?

 いやー、ワールドカップ、すごいことになってますね。
 正直なところ、開催前は、まったく期待していなかったのですが、日本代表、本当に、世界を驚かせつつあります。
 これで次も勝ってしまったら、本当にベスト4が見えるところまで来てしまいますね。
 あの目標設定は、賛否両論で、賛成派の人でも、本気でいけると信じていた人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。自分も、まあ、目標を高く設定することはいいことだよね、くらいのもので、ぜんぜん信じていませんでした。まあ、今も信じてはいませんが、次にもし勝つことが出来たなら、がぜん現実味を帯びてくることは確かです。
 さて、デンマーク戦です。朝方3時半からということで、見る気はなかったのですが、いつもサッカーを見させてもらっている、友人のSさんが、えーっ、だって4年に1回だよ、見なきゃだめじゃん、なんて言ったのです。
 この言葉は効きましたね。めったにひとの説得に応じることのない自分ですが、そうだよなあ、4年のうちの1日くらい、寝不足で我慢することがあってもいいよなあ、なんて、ころっと意見を変えてしまいました。
 そのおかげで、大変大変いいゲームを見ることが出来ました。寝不足してよかったです(笑)。
 本田選手のFKによる1点目、遠藤選手の2点目ももちろんよかったのですが、後半途中に、ペナルティエリアの中央外側あたりから、短いパスをダイレクトで4、5本繋いで、ディフェンスをかわしてからシュートを打ったところがありました。それは得点にはなりませんでしたが。
 オシムさんが倒れてから、岡田監督に引き継がれたときに、かかげられていたキーワードで、接近、展開、連続、というものがありました。これはつまり、攻撃時に、味方選手同士が接近してショートパスを交わし、相手ディフェンダーをひきつけながらかわして、空いたスペースに展開していき、それを繰り返す、という意味なのですが、このプレーは、まさにこれを地で行くようなものでした。
 その当時とは、ずいぶん戦い方が変わりましたが、今までやってきたことが、みんな生きてきているんだな、ということを実感しました。
 次も勝ってほしいですね。パラグアイってどんなチームなんでしょう。

田んぼの様子

 久しぶりに田んぼの様子など。
 田んぼ6・19_convert_20100620214608
 なかなか順調に育ってます。
 毎日、水の様子を見に行きます。
 今朝は、一羽の鴨さんが遊びに来てくれていました。残念ながら、カメラを持っていなかったので写真はなし。
 鴨さんを驚かせないように、腰をかがめてゆっくりと田んぼに近づき、水を入れてきました。
田んぼ2・6・19_convert_20100620214451
 稲の様子です。
駒ヶ根のあずき2_convert_20100620214703
 ついでにあずきの写真も。これは駒ヶ根のクラフトフェアのときのもの。
 あずきも元気でやってます。相変わらず人気者です。

オランダ戦

 ワールドカップ、オランダ戦、すごかったですねー。
 日本代表戦でこんなに面白いと思ったのは久しぶりです。
 今年に入ってから、日本代表は調子が思わしくなく、ワールドカップの直前で、岡田監督が今まで積み上げてきたやり方を全部ひっくり返すように、今までの攻撃的なサッカーから、守備重視の戦術を取り始めたので、ここでぶれてしまうようだと、もうだめだな、と私は思っていました。たぶん、そう思った方も多かったと思います。
 ところがところが、今日の試合を見て、私は岡田監督が何を考えてきたのかわかったような気がしたのでした。
 試合開始から、オランダは日本の陣地内で激しくプレスをかけつづけ、ボールをキープしつづけます。日本選手たちは、自分の陣地の中でボールを追いつづけますが、相手の個人技のうまさと、プレスの強さのせいで、ボールをなかなか奪えなかったり、奪ってもすぐに相手に取られてしまい、なかなか攻撃に移れません。
 これが世界の強豪の実力か、とはらはらしながら見ていましたが、日本の守備もしっかりしており、ボールは回されてはいるものの、相手に決定的なチャンスは作らせません。
 たぶん、オランダとしては、はじめから一気に畳み掛けるつもりだったのでしょうが、日本はそこを読んでいたのか、きっちりとしのいでいました。
 このような強いプレスをかけつづけることは、オランダとしても難しいことなのか、徐々に日本がペースをつかみ始めます。
 相変わらずボールを回されてはいるものの、それを奪い取って、敵陣深くまで侵入していくことが何度もありました。
 結局前半は0対0、ボールのキープ率はオランダのほうが圧倒的に勝っていましたが、シュートの数は日本のほうが多かったです。日本は作戦どおりに試合を進めている、そんな感じがしました。
 後半に入るとオランダは少し作戦を変えてきます。前半の攻撃よりも、早めにボールをゴール前に放り込むようになりました。ここを気をつけろ、と思ったところで、オランダが日本の守備の一瞬の隙を着いてゴールを決めます。
 これで0対1。しかしここからの日本がよかったのです。
 岡田監督は、ここから次々に攻撃的な選手交代をしてゆき、後半の20分ころには、前半の守備重視の布陣から、以前目指していた、攻撃的な布陣に変わります。
 このころには、オランダも前半の強いプレスのせいで疲れてきたのか、むしろ日本のほうが攻撃している時間が長くなっていきます。最後はDFの闘莉王までが最前線に上がって攻撃をしつづけますが、結局ゴールは割れず、0対1で敗れてしまいました。
 あの1点がなかったら、とも思いますが、オランダにはほかに決定的なチャンスがあと2度ほどしかなかったことを考えると、そこを決められるところが強豪国たる所以といえるでしょう。
 思うに、前回、親善試合でオランダと戦ったときは、今回の後半20分以降の戦い方を90分続けようとして、0対3で敗れてしまったわけです。それが体力的に持たないことを反省として、今回のような、時間的に守備的に戦うところと、攻撃的に戦うところを使い分ける作戦に出たのだと思います。
 岡田監督は、攻撃的なサッカーを捨てたのではなく、現実的な対応をしながら、攻撃を作り上げるという、したたかな戦い方を見せてくれました。
 これは今までの日本代表に見られなかったもので、一流国にも臆することなく、自分たちの実力を見極めながら、最善の手段をとろうとしたのでした。
 オシム前監督という、偉大な人の後を引き継ぐことはとても勇気のいることだったと思います。くわえて、今年に入ってから、チームの調子が落ち込むなど、岡田監督に対する風当たりの強さは、想像を絶します。
 そういう中でも、負けはしたものの、こんな風に勝とうという意思を最後までチーム全体で見せてくれました。
 岡田監督、あんたは男だ!!

一日の終わりの災難

 今日は、また木曾に行ってきまして、例の茶托小箱をS先生に見てもらいに行きました。
 見せてもらった結果はまあ、及第点くらいはもらえたと思います。でも今日は、そんな話ではないんです。(笑)
 昼過ぎくらいから降り始めた雨はだんだん強くなり、先生のお宅から帰るときは土砂降りでした。
 途中でご飯を食べたりしながらゆっくりと帰路につき、うちの町についたのは9時半くらいだったでしょうか。
 町の一番中心にある交差点で、赤信号で止まったとき、なんと車がエンストを起こしてしまったのです。
 元々自分の車は雨の日に弱く、電気系統の接点のところに水がはいって、エンジンの火花が飛ばなくなってしまうことがあるのです。
 2年程前にまったく同じ問題でエンストを起こしたことがあったので、車屋さんに修理してもらって、それ以来この症状は出ていなかったのですが、久しぶりにやってしまいました。帰り道に何度か水溜りに突っ込んでしまったのでたぶんそのせいでしょう。
 応急処置くらいなら自分でもできるのですが、夜、暗い中でそれを行うことはやはり無理でした。一時間あまり手探りでいろいろと試してみましたが、ついにあきらめ、歩いて家に戻ることにしました。
 雨はいっときよりもずいぶん小降りになってはいましたが、まあそれなりの降り。ちょうど友人の家から借りっぱなしの傘が車に乗っていたのが不幸中の幸いでした。
 最低限の荷物を持って、あずきを抱き、傘をさして歩くのはなかなかの苦行です。途中、友人の家の前をとおるので、出来ることならそこから車で送ってもらおうと思ったのですが、家の電気はすでに消えていました。
 仕方がない、と覚悟を決めて、家まで約1時間半、あずきを抱いて歩きとおしました。
 明日の朝一で車を取りに行かなきゃ。それにしてもあずき、あんたはえらい!何度かおろせと暴れたものの、ほとんどの間はおとなしく抱かれてくれていて、おかげで助かりました。

父のこと、ルーシのこと

 私の父は、私が幼いころから仕事で海外に長期で出張したり、単身赴任をしていたりで、家にいることがあまりありませんでした。
 たまに家に帰ってくることをとても楽しみにしていた記憶がありますが、帰ってくるとその期待を裏切られることが多かったです。あの世代の人たちの多くに共通することだと思いますが、男は仕事をしてナンボというか、家庭のことは、母に任せておけばいいという考えだったのかもしれません。よくわかりません。
 また、最近知ったのですが、とても複雑な家庭に育ったために、家庭というものがどのようなものなのか、あまり知らなかったのかもしれません。
 とにかく、家庭や子どもに接する態度はとてもぎこちなく、どのように相手をすればいいのかわからず、戸惑っているように見えました。
 そんな父と一番長く暮らしたのは、私が小学6年から、中学3年までのこと。父の赴任先のモスクワでのことです。当時はソ連といっていましたね。
 そんな父は、今までの時間を取り戻そうとするかのように、家に帰って食事をすませると晩酌をしながら、息子を呼んで話をしました。はじめは喜んで付き合っていた私も、すぐにいやになりました。あまりにも一方的で、理屈っぽく、しかもその理屈は、同じところをぐるぐると回っているだけだったからです。
 そんなせいか、私はいつも、心の底に重苦しいものを抱えていたと思います。
 でも、ここでとても素晴らしい出会いもありました。それはボルゾイ犬のルーシです。
 私が日本に帰る数ヶ月前にこの子はうちにやってきました。それからこの子とは、毎日毎日夢中になって遊びました。家に帰ると、何度も何度も飛びついて全身で喜びを表現してくれるので、家に帰るのが楽しみになりました。
 家族のみんなもルーシのことが大好きでした。父も妹もルーシを溺愛しました。
 母は、ルーシのことをいつも嫌いだといっていましたが、ルーシに対していやな顔を見せたことはありません。それどころか、ルーシの気持ちを一番わかっていたと思います。母はきれい好きなので、ルーシの毛や、よだれで家が汚れてしまうことがいやだったのだと思います。母は、毎日そのために、今までの倍は掃除をしなくてはなりませんでした。母はそうやっていやな気持ちを包み隠して私たちやルーシを支えてくれました。
 その後、私は一人で日本に戻って高校に行くことになりました。家を出ても重苦しい気持ちは離れず、ルーシに会いたい気持ちでいっぱいでした。
 妹もその2年後に家を出て日本の高校に行きました。両親とルーシもそろって日本に帰ったのはそのさらに2年か3年たったあとです。
 そのころ、私は地方の大学に行っていたため、家族が日本にそろっても、一緒には住みませんでした。父とは口もききたくありませんでしたが、ルーシに会いたくて家にはたまに戻りました。
 今考えると、私はルーシを本当に愛していたでしょうか。自分の中の重苦しい気分をルーシにぶつけていただけのような気がするのです。ルーシは年をとるにつれてだんだん気難しくなっていきました。
 私はそういうルーシのことも大好きですが、人が大好きで、知らない人にさえ尻尾を振って飛びついて、びっくりされていた子どものころのルーシを思うとき、自分の愛し方が間違っていたような気がしてならないのです。
 大学を卒業する直前、私は交通事故を起こして、2ヶ月も入院しました。連絡を受けた父はすぐに飛んできてくれて、必要なことをすべてしていってくれました。
 だからといって、長年のすれ違いを解消することはそう簡単には出来ません。私は感謝の気持ちも述べることなく、その後も自分探しの旅を続けました。有機農業の手伝いをしたり、海外に貧乏旅行に出かけたりしました。
 そして木工に出会って、何年かそれをしていくうちに、だんだん心の底の重苦しい気持ちがなくなっていきました。今までしてきたことは、みんな無駄ではなかったと今では思えます。たぶん、私は自分のするべきことを見つけたのでしょう。
 父は、夢や理想ばかりを追いかけている息子に、いつしか何も言わなくなり、それどころか精一杯の応援をするようになりました。私はそこまでしてもらいながら複雑な気分でいます。
 「それは本当にやりたいことなのか」と小さいころよく言われました。父に習い事をせがんだときのことです。そんなことはわからない自分は、その言葉に負けつづけていたと思います。
 今振り返ると、私はそれを探しつづけて、今では進むべき道を見つけることが出来たとはっきりいえます。
 ただそういう父はいったい何をしたいのだろう。いったい何をしたかったのだろう。
 人生の大半を仕事に捧げながら、その仕事に生きがいを感じていたとは到底思えず、本来持っていたはずの夢や理想をずっと押さえつづけてきました。そうやって自分を犠牲にしながら、仕事をすることが家族のためだとかたくなに信じてきたのです。幼いころからそれに対する疑問を訴えつづけてきた私の声は、いまだに微塵も届いていません。
 私のすることをいつも応援してくれて、それはとてもありがたいことなのだけど、そんなことより父の本当の姿が私は見たいのです。
 ルーシは数年前に13歳で亡くなりました。年をとってもかわいくて、亡くなったあとも必ず家族の間では話題に上ります。ずっと父と息子が冷戦状態にあった中で、ずっと家族を繋ぐ絆でありつづけました。それは今でも変わりません。
 
 たぶん、これが私の中にある一番大きな物語です。
 私は昨日38歳になりました。もう人生の半分、もしかしたら過ぎているかもしれません。まだ間に合ううちにこの物語を完成させて、新しい物語を作っていきたいです。
 
 

わくわく村

 今日は、友人の二川 透さんが発行されている小冊子、「わくわく村」のご紹介をいたします。
 これは、二川さんが、主に東信地域で頑張っている人を毎回ひとり取り上げて、その人のお仕事や、人となりを紹介しています。それから、何人かの人が連載でコラムや書評などもやってます。
 ちなみに、私も執筆者のひとりです。「時の作るかたち」って言う題名でエッセイを書いてます。
 「わくわく村」のキーワードは、環境、地域、あとちょっとニューエイジも入ってるかな。
 マスコミなんかに取り上げられないけど、すごい人っていますよね。周りの人を幸せにしたり、あるいは強い信念で、何かをやり遂げたり。「わくわく村」では、二川さんのアンテナに引っかかった、地味だけど、大切なことをやっている,地域できらりと光っている人を紹介しています。
 こういうことをする二川さんもえらい人だと思うんですよね。何しろ、まったくの無償でこういうことをやっているんですから。しばらく休刊してたけど、この4月から再開して、隔月で発行していこうって言うのだからたいしたものです。結構、こういう編集作業とか、人にインタビューして、テープ起しをしたりするのって、大変なエネルギーがいると思うのだけど・・・。
 二川さんは、いつも会うと元気な声で、笑顔で話し掛けてくれます。だから、二川さんに何かいわれると、じゃあやってみようかっていう気持ちにさせられてしまうんです。それに、絶対に人を悪く言わない人で、私は大好きです。
 このひとの風貌は、坊主頭で丸い顔をしています。体型も丸いです。(笑)いつもこの人を見ると、私はお地蔵さんを想像してしまうのですが、こういう、一銭も利益にならないことをやっていく二川さんの生きかた自身もお地蔵さんなのかもしれません。
 「わくわく村」を読んでみたいと言う方は、090-2339-7502 二川 透、またはnagare@sas.janis.or.jpまで連絡をして、お名前とご住所をお知らせください。郵送で送ってもらえます。それから、気が向いたときに、たまーにカンパをしてあげてください。それからそれから、読んだらぜひ、応援とか、感想を伝えてあげてください。

小箱二つ

 今日は、これも最新作の小箱を2種類紹介します。
小箱_convert_20100610211740
 左がクリ、右がサクラ材のものです。
 これは、友人がやっている、NOUVEAU BRICOLAGEさんから、頼まれて作ったものです。ちょっとしたボタン付け程度の道具を入れる針箱を作ってくれ、ということで作りました。
 針箱としてだけではなく、ちょっとした宝物を入れておくのにどうですか。

茶托ができました

 紹介が遅くなりましたが、件の茶托が完成しました。
 この茶托についてご存知ない方は、以下の記事を読んでみてください。
http://yuzuriha472.blog121.fc2.com/blog-entry-5.html
http://yuzuriha472.blog121.fc2.com/blog-entry-6.html

 私自身は、はじめに比べるとずいぶんよくなったと思いますが、どうでしょう。写真で雰囲気がわかるでしょうか。
茶托_convert_20100609232916
 直径は4寸、サクラの拭き漆仕上げです。
 ついでに写真をもうひとつ。
茶托と茶碗_convert_20100609233018
 この茶碗、茶托に似合っていると思うのですが、いかがでしょう。
 この茶碗は、駒ヶ根で知り合った、安藤友紀さんの作品です。
 陶器にはあまり詳しくないのですが、安南といってましたから、ベトナムあたりの器の写しでしょうか。
 クラフト展に出てくるものって、割と自分のかたち、みたいなものを出したい人が多いような気がするのですが、そんな中で、ちゃんと伝統にのっとったものを作ろうとしていることが新鮮でした。
 東南アジアの雰囲気が好きなのと、茶托と一緒に飾れば、茶托を買ってくれる人がいるかも、と思って、ひとつ買ってしまいました。残念ながら、こちらのもくろみは空振りでしたが・・・。
 安藤さんは、名古屋で陶芸教室もやっているそうなので、そちらのリンクも貼っておきます。
http://www.toyotomitougei.com/index.html
 

ホメオパシー

 今日、あずきの薬が残り少なくなったので、獣医さんのところにもらいに行ってきました。
 行き先は、小諸のU動物病院です。
 ここの先生は、なかなかすごい人で、動物相手にマクロビオティックや、漢方、ホメオパシーなど、いわゆる代替療法を行ってくれます。先生自身も、3年くらいまじめにマクロビオティックの方法に沿った食事を実践していたので、言うことに説得力があります。
 その先生に、駒ヶ根でのあずきのことを話してみたのです。あずきの霊性が高まっているんじゃないかと半分冗談めかして。
 そうしたら、先生は大して驚いた風でもなく、ホメオパシーをやっているとそうなって来るんだよ、といいました。
 実は、私は、あずきがこうなってきたのは、自分が飼っているからだとひそかに自負していたので、少しがっかりしました。
 あずきは、ずっと前から乳腺腫瘍があり、それが大きくなってきたので、先生の勧めにしたがって、今年の初めに手術をしてとってもらったのです。
 先生によれば、術後のケアが一番大事で、それも食事が一番大事だということでした。まず、ドッグフードは絶対に禁止。それからジャガイモやにんじんなど、デトックスに効果がある根菜類をすりつぶして毎回与える。それと先生の出すホメオパシーの薬を与える。これを毎日、半年くらい続けてきたのです。
 なんでも先生によれば、ホメオパシーは、肉体ではなく、エーテル体や、アストラル体に効くのだそうで、病気の症状そのものを治すというよりも、魂をも含めた体全体がよくなっていくのだそうです。
 エーテル体やアストラル体というのは、シュタイナーの本に出てくる言葉で、大雑把に言うと、エーテル体が命、アストラル体が魂と解釈できるかと思います。まあ、私は、シュタイナーの本を読むのは、かなりはじめのほうで挫折してしまったので、興味のある方は調べて、私に教えてください。(笑)
 こんな話は、一歩間違えればトンデモの世界ですが、先生の話は理路整然としてわかりやすいのです。また駒ヶ根での出来事は事実ですし、食事療法の結果、あずきの毛のつやがとてもいいことも事実です。
 ただ、先生自身も、この世界には、インチキな人が多いともおっしゃいます。だから目の前を事実を受け入れるのは受け入れるにしても、こういう治療をやっているからいいということでもないようです。
 まあ、とにかく私もあずきもこの先生と知り合えて、治療してもらえてよかったってことですね。

文机

 過去の作品、というより最新作、文机をご紹介いたします。
 文机、とは要するに書道用の机です。
 現代の生活では、そのように使う方はなかなかいないかもしれませんが、たとえば、きれいな布を敷いて、その上に花瓶を飾るなど、飾り台にしてもよさそうです。
 材料はアカマツ、拭き漆仕上げです。
文机1_convert_20100608223344
文机2_convert_20100608223508

クラフトフェア!

 5日、6日と駒ヶ根市で行われた、くらふてぃあ杜の市に参加してきました。
 いつものように準備が遅く、先週は、徹夜続きで作品を仕上げ、結局出発したのが当日の午前0時。それなら少し家で寝てから行けばいいじゃんといわれそうですが、寝坊するのが恐ろしかったので、早めに現地に付いて、そちらで寝ようというつもりでした。
 駒ヶ根市は、同じ長野県内とはいえ、気軽に行って来れるほど近くはありません。八ヶ岳を回り込んで諏訪に抜け、そこから伊那谷を南に約2時間、合計すると片道で約4時間(すべて下道です)かかります。
 こちらも八ヶ岳と浅間山の眺めがきれいなところですが、駒ヶ根も負けてはいません。東に南アルプス、西には中央アルプスに囲まれた、山好きにはたまらないところであります。しかもそんな大きな山脈に囲まれていながら、駒ヶ根のある伊那谷はとても広いので、圧迫感がまったくなく、ゆったりとした気持ちのいい場所です。
 そして今回の会場は、中央アルプスの宝剣岳や檜尾岳の登山口にあたり、素晴らしいロケーションのところです。
宝剣岳_convert_20100607005221
 会場からの風景 中央の三角形の山が宝剣岳

 2日間通して天気もよく、とてもよかったのですが・・・。肝心のものがあまり売れませんでした。しかも、2日目はかなり思い切った値引きまで行ったのにもかかわらず、売上げにそれほど影響がなかったのです。
 そういう意味では、あんまり実りのあるものとはいえませんでしたが、とっても素晴らしいものにも出会えました。

 今回もいつものようにあずきと一緒に行きました。自分のテントの片隅に繋いでおくと、道行く人がみんなかわいがってくれていいのですが、時々暴れて展示している台をひっくり返してしまう心配があったことや、すぐに繋いでいる綱を絡ませて身動きが取れなくなってしまうので、自分の出しているお店のすぐ後ろにある木につないでおくことにしました。
 2日目の午後のことです。店番をしながら後ろのあずきを見やると、見知らぬ青年があずきのそばにしゃがみこんでいます。私と目が合ったので、笑いかけると、向こうも笑い返してくれました。
 そのまますぐに前に向き直って、お客さんと話をしたりして、また後ろを振り返ると、まだその青年がいます。しかもその友達でしょうか、7、8人くらいがあずきを囲んで、じっとたたずんでいるのです。なんだかたそがれてるというか、ある人は立ったまま、ある人はしゃがみこんでじっとあずきを見ていたり、時々あずきをなでたりしています。
 私はその空気を壊さないように、気づかない振りをして、また店番を続けましたが、そのあと何度か振り返ってみた様子だと、彼らはしばらくの間、そこにいたようです。
 一方のあずきは、特に関心もなさそうです。
 あずきの周りで静かにたたずんでいる彼らは、人間と言うよりも、昔見た、鷺の群れに似ていました。
 とある日の早朝、車を走らせていると、1本の木の、枝という枝に鷺が止まっていて、じっとしているのを見たことがあります。あれほどたくさんの鷺が、1本の木に静かに止まっている様子は、私を穏やかで、何だか神々しいような、不思議な気持ちにさせました。
駒ヶ根のあずき_convert_20100607005118
 駒ヶ根でのあずき

 あずきはこのごろいろんな人からいい犬だといわれるようになって、私も昔に比べてずいぶん変わったなあと思うようになってきたのですが、これほどとは・・・。
 あずきさん、あなたは犬の姿を借りた、天使ではないでしょうか。
 
 どんな芸の名人であっても、子供と動物にはかなわない、といわれます。
 今回はそれを地で行くように、あずきに食われてしまった感がありますが、自分の作品も、結構評判がよかったのですよ。(笑)
 1日目の朝にずいぶん興味深げに見ていってくれた方が、2日目の夕方、急いだ足取りでやってきました。
 そして、今の自分にはこれくらいしか買えないが、といってお箸を1膳買ってくださいました。聞けば、仕事を無理やり抜け出してきてくれたのこと。これほどうれしいことはありません。
 その後、この方とは少しお話をして、自分の仕事の方向性に自信を持つことが出来ました。売上げが少なくて、自信を失いかけていたところだったので、ほんとにほんとにありがたかったです。
 
 その他にも、同じ並びにお店を出していた方々、お世話になりました。今回は斜面上という、あんまりいい条件のところではなかったけど、頑張りましたよね。
 買ってくれた方もそうでない方も、私の作品に対して、足を止めて見てくださった方みんなに感謝します。ありがとうございました。

 

駒ヶ根クラフトフェア出展のお知らせ

今週末、6月5日(土)、6日(日)に長野県駒ヶ根市で行われるくらふてぃあ杜の市に出展いたします。
 詳細はリンク先をご覧ください。私は、駒が池会場のほうにいますので、お近くの方はぜひ来てください。
プロフィール

ルーシェンカ

Author:ルーシェンカ
長野県の小海町で家具を製作しています。
家具のこと、木のこと、森のこと、その他の身の回りのことを紹介していきたいと思います。
メールアドレス atsushitakahashi@nexyzbb.ne.jp

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