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続・祇園祭り

 昨日お伝えした、祇園祭り、ずいぶんと小ぢんまりしたお祭りだなあと思っていたのですが、あれは前夜祭なのだそうで、本番は今日でした。
 駅前の通りを神輿と長持ちが練り歩き、商店街には夜店がずらりと並んで、そこは人の流れが川のようになっていました。これぞ祭り!
 わたしは振舞い酒をちょっとだけ(笑)いただきながら、定番のたこ焼きとお好み焼きを食べ、花火を眺めて、久しぶりに祭りの気分を満喫いたしました。満足!
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祇園祭り

 今日は、町のお祭り、祇園祭りに行ってきました。
 小さな町の、小さなお祭りで、駅前のとおりに町の商工会の青年部が出している夜店がいくつかあって、流しそうめんをやっているくらいの、本当に小ぢんまりとしたお祭りです。
 それでも、消防団のメンバーやら、町の知り合いに久しぶりにたくさん会えて、楽しかったです。

第2回軽井沢アート&クラフトParty

 8月7日(土)、8日(日)に、軽井沢ハーモニーガーデンで開催される、軽井沢アート&クラフトPartyに参加します。
 このイベント自体は、8月6日(金)~8日(日)の三日間開催されますが、わたしが参加するのは7日(土)、8日(日)の二日間です。
 お近くの方はどうぞいらしてください。
 アクセスの方法など、詳しい情報はこちらからどうぞ。
 http://www.slow-style.com/detail/index_964.html

隣の中国人

 わたしのうちの隣は、中国人の研修生の宿舎になっていて、毎年春から秋まで、5人くらいの中国人が滞在しています。
 何の研修生かというと、うちの周りは、高原野菜の産地になっているので、中国からはるばる、農業を勉強しにやってくるのです。まあ、ていのいい出稼ぎですね。
 先日、そのうちの一人が、ちょっと来いと手招きをするので、宿舎に行くと、そこにはその彼一人だけで、ほかの人たちは、仕事に行っていない様子。少しいぶかしく思っていると、なんだか日本語と中国語の簡単な会話帳を片手に、深刻そうな顔つきで話し始めます。
 こちらも中国語はさっぱりですし、向こうも、日本語はほとんどわからないので、その会話帳と、漢字の筆談で、なんだかわかったようなわからないような会話でしたが、中国の大使館とか、警察署とか、あんまり穏やかでなさそうな単語が出てきます。また、両手首を前のところで合わせて、逮捕する、みたいな身振りをしたりします。
 そして、会話帳で、殴る、という単語を指差すのです。どうも仕事中に、日本人の雇い主に殴られたか、あるいは、彼が我慢しきれずに殴ってしまったかしたらしいのです。
 これは大変だな、と思いつつも、雇い主の日本人は、ご近所さんでもあり、下手に自分が力を貸すと自分がここにいられなくなってしまう、などとわたしは保身の計算に走ってしまい、つらいね、と精一杯の同情の気持ちを示すことしか出来ませんでした。
 それから2日ほどたってから、彼がわたしの仕事場にやってきて、電話を貸してくれ、といいます。中国のお母さんに電話をかけたいのだということです。国際電話など、いくらかかるのだ、と内心変なことに関わってしまったな、と思いつつも、事情を知っているだけに、断ることが出来ず、笑顔を繕って、貸してやりました。
 結局、彼はプリペイドの電話番号を使ってかけたので、わたしが電話料金を払うことはなくて済みました。
 電話に彼のお母さんが出ると、彼はものすごい早口の中国語で、何かをまくし立てています。自分は仕事に戻り、彼のほうは見ないようにしていました。すると、だんだん鼻をすする音が聞こえ、涙声になってきています。
 よっぽどつらかったのでしょう。考えてみれば、このようなことがおきても、誰も味方になってくれるところはないのです。彼がはじめに訴えたように、こちらの警察に駆け込んだとしても、このような田舎の警察の交番くらいでは、まともに取り合ってくれることはないでしょう。中国の大使館まで行けば、味方になってくれたかもしれませんが、東京までのバスの運賃だけでも、往復で6000円くらいはかかります。たぶん、わたしたち日本人の基準よりもはるかに安い賃金で働いている彼らにとっては、それはとてつもない大金のはずです。
 わたしのように、何の利害もない立場から見ると、彼らは本当に純朴な人間なのですが、仕事上の付き合いとなると、中国人は、押しが強くて、利に聡い、雇う側の日本人にとっては、気を許すことの出来ない相手のようです。
 だから、必要以上に警戒心を持って厳しくしてしまうのでしょうが、彼らが非常に弱い立場にあることも事実です。
 彼は、しばらくの間、お母さんと話してから、電話を切ると、涙を拭ってわたしの手を強く握り、アリガト、謝謝、と日本語と中国語で感謝をしてくれました。そして、ハオレン、ポンヤオ、つまりいい人、友達、といってくれました。なんだか自分の胸もいっぱいになってしまいました。

あずき22・7・25_convert_20100727010148

 本文とはまったく関係ありませんが、最近のあずきの様子です。先月から、今月の頭にかけて、あちこちに連れまわしたりしたので、少しお疲れ気味でしたが、最近はなるべく安静にするように努めていたので、また元気になりました。

ピチカート・ファイヴ

 ひところ、渋谷系というジャンルの音楽が流行りました。フリッパーズ・ギターとか、オリジナルラヴとか、いろいろあったようですが、自分は断然ピチカート・ファイヴですね。
 もっともその当時は、自分の趣味とも方向性ともまったく違っていたので、渋谷系の音楽にはぜんぜん興味がありませんでした。
 ところが、そのブームがとっくに終わったころ、ラジオから流れてきたある曲にしびれてしまったのです。
 それがピチカートファイブの曲でした。実は題名もいまだに知りません。とにかくクリスマスソングです。
 この曲の魅力は、なんといってもボーカルの野宮真貴さんの声です。なんとも色っぽいんです。(笑)
 といっても、甘ったるいような感じではありません。なんというか、男たちをうまくいなしつつ、大事なところはちゃんと受け止めている感じ。
 歌い方も、あんまり歌の世界に入り込まず、さらっとおしゃれに流して歌っているように見えます。だから、あんまりうまいとは思っていなかったのですが、実はとってもうまいのかもしれません。
 とにかく、ジャンルとか、スタイルとか、方向性なんか関係ない。いいものはいい!のです。

夏の里山

 アルバイトで、山を歩いているといろいろなものに出会います。

夏のキノコ2_convert_20100723223749

 キノコは秋のものと思っていましたが、もうすでに出ています。

夏のキノコ3_convert_20100723223846

 今年は、梅雨にしっかり雨が降ったので、キノコがたくさん出るだろう、と詳しい人が言っていました。

木漏れ日2_convert_20100723223959

 休憩中に空を見上げると、木漏れ日が美しかったです。

最近の田んぼ

 今年の梅雨は、すぱっと明けて、標高1000メートルのこの土地でも、暑い日が続いています。
 こんなにすっきりと梅雨が明けたのは何年振りでしょうか。久しぶりに夏らしい夏を迎えることが出来てうれしいですね。
 さて、梅雨の終わりごろには、ずいぶん雨が続きましたが、そのおかげで、田んぼが大変なことになりました。先週の土曜日だったと思いますが、朝、水を見回りに行ってみると、用水路にあまり水が来ていません。おかしいと思って用水路をさかのぼってみると、途中のところが、土砂で埋まっていて、そこから水があふれてしまっています。
 急いでうちに帰って、スコップやじょれんを持って、どぶさらいをしました。途中から、地主さんの息子さんのたかおさんも手伝いにやってきてくれて助かりました。
用水路_convert_20100723000707
 
 今、お借りしている田んぼは、用水路がとても長く、そこの草刈や、このようなどぶさらいをすべてわたしが行わなくてはならないのが大変なところです。
 本当は、この田んぼの上流にも田んぼは何枚かあるのですが、みんな作るのをやめてしまって、今では荒地になっています。今でも作っていれば、ここまで長い距離を管理しなくてもいいはずなんですけどね。
 浮き草_convert_20100723000529
 問題の浮き草です。ずいぶんとったのですが、また増えてきました。

田んぼ22・7・22_convert_20100723000335
 今日の田んぼの様子。ほかの田んぼと比べると、ずいぶん見劣りがしますが、ずいぶん大きくなりました。

風神秘抄

 荻原規子さん作のファンタジー、風神秘抄を紹介します。
 時は平安時代末期、平治の乱で、源氏が壊滅的に負け、平家の天下が始まろうとしていたころです。
 人と交わることの苦手な少年、草十郎は、子どものころからいつも野山で一人で笛を吹いていました。彼の吹く笛は不思議な力を持っていて、鳥や動物がそれを聞きに集まってくるのです。
 彼は京都で、舞の名手、糸世に出会います。彼女の舞にも不思議な力があって、異界とこの世を通じさせることが出来るのでした。
 彼女は、六波羅で処刑された源氏の怨霊を鎮めるために、舞を舞おうとしているところでした。ほかの誰も気づくことはありませんでしたが、草十郎には彼女の意図がわかるのでした。今まで、人前で笛を吹いたことはありませんでしたが、彼女の舞となら合わすことが出来ることを確信した草十郎は、飛び入りで、笛を舞に合わせることを願い出ます。
 草十郎の笛の力を得た糸世の舞は、無事に源氏の怨霊を鎮めることに成功します。
 最大の理解者を得た二人は愛し合うようになりますが、このような大きな力を持つ二人が一緒にいることは危険なことでした。くわえて遊君である糸世は、その掟に縛られているため、二人が結ばれることは困難なことでした。
 そんな時、時の権力者で、舞楽の力をよく知る後白河上皇が、二人の力に目をつけます。彼らの力を利用して、先が長くないと占われていた自分の寿命を伸ばそうとしたのです。
 草十郎は、彼の権力を後ろ盾とすれば、糸世と一緒に生きることができると考えて、彼の申し出を受けます。糸世は不安を感じつつも、草十郎を愛するがゆえに彼に従うことにしました。
 そして彼らは、上皇の寿命を延ばすことには成功しましたが、その代償として、糸世は異界に消えてしまうのです。
 自分の判断の浅はかさと、その行為の代償の大きさを深く悔いた草十郎は、糸世をこの世に呼び戻すために、旅に出ます・・・。

 この小説の魅力は、なんといっても二人のキャラクターが立っていることです。孤独な影を感じさせる草十郎と、わがままで奔放のようでありながら、自分のためでなく大地の力に突き動かされているような糸世。それから、重要な脇役である、草十郎にしか聞くことは出来ないものの人語を操るカラスの鳥彦王。カラスを頂点とする鳥の世界がこの小説では重要な役割を担っています。
 自分がこの小説で一番印象に残っているのはこんな場面です。
 糸世を捜す旅の途中、草十郎は、死のうとしていた一人の身重の女性を救います。自分も以前は死のうとしていたが、今は一人の女性をこの世に呼び戻すために生きなくてはならない、あなたも生まれてくる子どものために生きなくてはならないはずだ、と説得します。
 その女性から、草十郎が呼び戻そうとしている人の名前を聞かれて、草十郎はただ一言、「糸世」と答えるのですが、そのとき、草十郎は、万感の思いで胸がいっぱいになるのです。
 名前を呼ぶって素敵なことですよね。
風神秘抄風神秘抄
(2005/05/21)
荻原 規子

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夏の到来

 梅雨が明けて、空には夏の雲が・・・。
夏の空_convert_20100717220641
 庭先からとった写真です。こちらもいよいよ夏がやってきました。

道祖神

 アルバイトの途中、道祖神を見つけました。
道祖神_convert_20100714230419
 別荘地の石垣にあったので、たぶんどこかから持ってきたものでしょうけど・・・。
 なかなかいい顔でしょう。

ヒョーロクだま

 アルバイトでいっしょに仕事をしているNさんから、ヒョーロクだまなるものをいただきました。
 「このヒョーロクだま!」というように、ちょっとユーモラスな、罵倒の言葉としては知っていましたが、実際何のことかは知りませんでした。
 何日構えにNさんと話していたときに、じゃあ、今度持って来てやるよ、といってくれて、それを覚えていてくれたのです。Nさん、ありがとう。
 何のことだと思います?
 こたえはキノコ。
 正式な名前はツチグリといい、それの若いものです。
 ツチグリ自体は、時期になれば割合よく見かけます。普通に想像するキノコとはちょっと形が違って、真中に丸い玉があって、その周りに三角形の花びらのようなものが八方に広がっています。ちょうど、栗のイガが割れたような感じなのでこの名前がついたのでしょう。そして、この真中の丸い玉を足で踏むと、中心にある小さな穴から、煙のように胞子を吐き出すのです。
 ただ、ヒョーロクだま、と呼ばれるものは、まだそこまで成熟していないので、ただの丸い玉です。大きさはむかごよりもちょっと大きいくらい、色はそれよりももっと白い感じです。
 これはなかなかの高級食材だそうで、ありがたく味噌汁に入れていただきました。
 外側がこりこりしていて少し固く、中はやわらかい面白い食感でした。

箱根に行ってきました

 今日(もう昨日か)は、箱根湯本にある、豊栄荘に行ってきました。
 高校時代の友人Iが、こちらの旅館の一角をリフォームして、アトリエを作ろうとしているのです。アトリエといっても、さまざまなワークショップや、音楽の演奏会などが出来る拠点を作ろうということのようです。
 まだ完成には至っていませんが、工事が一段落したということで、仲間を集めてバーベキューパーティーをしてきました。わたしも、去年の秋から2、3回ほど手伝いにいったので、呼んでいただいたのです。
 Iとは、昨年の秋に久しぶりに会い、こちらの豊栄荘で彼の仲間を紹介してもらいました。それ以来、自分の中で何かが少しずつ回り始めたような気がしています。
 今回は残念ながら会えなかった人もいるのですが、いい出会いを得た場所として、大切にしていきたいと思います。

再び草取り

 今日は、先週の草取りの続き。
 浮き草が田んぼ一面に繁茂してしまっているので、これをとらなくてはなりません。これが日光をさえぎっているので、日光があたってもそれが地面まで届かないのです。そのため、水温はそれなりに上がっても、その下の地温が上がらないので稲の生育が悪くなるからです。
 今日の参加者は、午前中が先週も参加してくれた、隣の村のMさん。午後は、友人のIさんの奥さんとその子どもたち3人です。
 この子どもたちは、3人そろって、いまどき珍しく野性味にあふれた子どもたちで、田んぼの自然に感応して、思い切り楽しんでいってくれました。私もいっぱいエネルギーをもらって、とても楽しかったです。
 午前中には、昨年までここで米を作っていたYさん夫婦が通りかかって、田んぼの様子を見て、これならばちゃんとお米が取れる、と太鼓判を押してくれました。
 今日、草取りをしていて思ったのは、ここの田んぼにはたくさんの生き物がいるということです。かえる、ヤゴが一番目立ちますが、うれしかったのは、カワニナがいたことです。カワニナは、ホタルの幼虫の食べ物です。Yさんによれば、今までホタルは見たことがないとのことでしたが、もしかしたらそろそろ復活するかもしれません。
 それからこれもYさんに教わったのですが、田んぼの水面のあちこちに、稲の葉っぱの切れ端が浮いているのが見られます。これを取り上げてみると、この葉っぱは縦に2回折り曲げられていて、断面が三角形のちまきのようになっています。その中には何かの虫のさなぎが入っているのです。つまりこれは虫のゆりかご、箱舟なのです。
 この虫は、稲の葉っぱを切り取って折り曲げ、横の部分を何らかの方法で糊付けして、自分のゆりかごを作り上げるのです。そして、田んぼの水面で揺られながら、成虫になるときを待つのです。
 なんだか、ため息が出ますね。
脱皮したてのトンボ_convert_20100710220221
 この写真は、脱皮したてのトンボが、稲の葉っぱで休んでいるところです。写真ではわかりにくいかもしれませんが、そばに脱皮した抜け殻もあります。
 水面にいっぱい広がっているのが問題の浮き草です。これをすくってとるのが大変でした。

夏の里山風景

 アルバイトで、森林の調査をしています。
 周りの景色に心を開いて歩いていると、いろんなものが目に入ってきます。その中のいくつかを写真に取ったのでご紹介します。
山あじさい_convert_20100709211127
 山に咲いていたあじさいです。


星野道夫風_convert_20100709211355
 休憩中に足元を取った写真。星野道夫さんのコケモモの写真を真似てみました。足元にも及びませんが。(笑)

かえるくん_convert_20100709211226
 かえるくんが休憩中です。

人工カラマツ林_convert_20100709211309
 よく手入れのされた、カラマツの人工林です。明るくて、すっきりとした森です。

天然カラマツ_convert_20100709211459
 これが天然カラマツです。いまだに写真を縦にする方法がわからなくてすみません(笑)。上の写真と比べるとずいぶん荒々しい感じがするのがわかるでしょうか。このことについては、先日の記事天然カラマツと人工カラマツを参照してください。



お詫びと訂正

 昨日の記事、「コルシア書店の仲間たち」で、須賀敦子さんのデビュー作が「コルシア書店の仲間たち」といいましたが、誤りでした。
 彼女のデビュー作は、正しくは「ミラノ、霧の風景」でした。
 勘違いしてました。すみません。お詫びして訂正いたします。

コルシア書店の仲間たち

 須賀敦子さんの作品は、主なものは大体読んでます。どれも文章が長い年月をかけて磨き上げられたようで、読んでいてため息が出ます。
 「コルシア書店の仲間たち」は、その彼女のデビュー作です。といっても、それまでにずっと翻訳者としてイタリア文学を日本語に翻訳したり、日本文学をイタリア語に翻訳(!)したりする仕事をずっとされて来られていたので、デビュー作といってもすでに完成されている感じであります。
 コルシア書店とは、彼女がミラノで働いていた書店の名前ですが、書店といっても、ただの本屋ではなく、むしろ社会運動の拠点というほうが正しいようです。
 仲間と一緒に理想を追い求め、それがさまざまな現実の壁にぶつかって、あるものは別の場所にまた理想を追いかけにいったり、あるものは、そこにとどまって現実と折り合いをつける道を選んだりするのですが、その様子をやさしく、さりげなく描き出しています。
 一人の女性が自立を模索する物語としても素晴らしいです。
 ヨーロッパ文化の奥深さを教えてくれたのもこの本(とほかの彼女の作品)でした。
コルシア書店の仲間たち (文春文庫)コルシア書店の仲間たち (文春文庫)
(1995/11)
須賀 敦子

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桜の飾り棚

 桜の飾り棚を紹介します。
 幅が50センチ、高さ58.5センチ、奥行き30センチの小さな飾り棚です。
 拭き漆仕上げです。
 サイズ、デザインなどはご注文に応じておつくりいたします。
桜飾り棚3_convert_20100707214032

桜飾り棚2_convert_20100707213858
 

草取りの追記

 先日の草取りは、結局半分程度しか終わらなかったので、今週末の10日(土)に再び行おうと思います。
 来たいという方は、ぜひプロフィールにかかれているメールアドレスにご連絡をお願いします。
 みんなでいっしょに働いて、おいしいご飯を食べましょう。

草取り

 昨日、田んぼの草取りを行いました。
 また、人を集めて盛大に、と思っていたのですが、意に反して集まったのはわたしも含めて4人。
 隣の村に住むMさん、小学生のRくん、Kちゃん兄弟のみ。
田んぼ+2010・7・4_convert_20100705212517
 まあ、それでもめげずにはじめましたが、何しろ大人は二人。しかも二人ともおっさんと来ていますから、Rくん、Kちゃんは、さぞ心細かったことでしょう。
 それでも子どもたちはそれなりに楽しんでやってくれたようですが、ほかに子どもの友達がいてくれれば、せめて大人の女の人がいてくれれば、もう少し楽しめたのではないかと思いました。
 今回は、男のだめっぷりを思い知らされました。Rくん、Kちゃん、今度はもっとたくさん人が集まるようにしっかり誘っておくから、これに懲りずにまた来てね。
田んぼのあずき1_convert_20100705212142
 途中から、あずきも田んぼに一緒に入って、手伝って(本人はそのつもり?)くれました。
田んぼのあずき3_convert_20100705212234
 なぜか、田んぼに飛び込んだらしく、顔まで泥だらけです。

 

土佐源氏

 宮本常一さん、といえば民俗学者として柳田國男さんや折口信夫さんなどと並ぶくらいの巨人ですが、この人は、生涯を旅に過ごしたといってもいいほど、日本国内の津々浦々を歩き回りました。今のように道路が整備されている時代とは違いますから、車が入っていける道のないような集落を、本当に歩いて訪ねて、そこに住む人々に話を聞いてまわったのです。
 その宮本さんの代表作のひとつに「忘れられた日本人」があります。その中に収録されているものの中でも傑作との呼び声が高いのが、この「土佐源氏」です。
 これは、宮本さんが高知の山村の橋の下(実際は違ったらしいですが)に住む盲目の元馬喰の話を聞き取ってまとめたものです。
 牛と女にかまけて、人をだまして生きてきた罰があたって目が見えなくなってしまった、と語る元馬喰の、生涯で二人、本気で愛した人との色っぽくて、はかなくて、純粋で、哀しい物語です。
忘れられた日本人 (岩波文庫)忘れられた日本人 (岩波文庫)
(1984/01)
宮本 常一

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タマゴタケ!

 アルバイトで山を歩いていると、真っ赤な美しいきのこを見つけました。
 タマゴタケです。スープなどに入れると、いいだしが出るのだそうです。
 ずっととってみたかったきのこですが、初めて見つけることが出来て感激!
 ここのところ、雨が多いので、今年の秋は、きのこがたくさん取れるかもしれません。
 今から楽しみです。
 

天然カラマツと人工カラマツ

 カラマツという木は、このあたりで一番植林された木で、それこそ右を向いても左を向いてもカラマツ、というくらいたくさん生えています。植林されたものは人工カラマツ(という風にはあまり言いませんが)、あるいは単にカラマツといいますが、山でこぼれ落ちた種から生えてきた野生のカラマツのことを、天然カラマツ、または天カラ、なんていいます。
 人工カラマツのほうは、日本の山に植栽された、たとえばスギやヒノキなどと同じように、間伐の遅れが問題になっています。しかも、カラマツは材料としては、ねじれやすいという欠点があるので、間伐材の有効な利用の仕方を考えるとき、この欠点が大きな壁となっています。
 また、自分の経験から、カラマツという木は、木目の硬いところとやわらかいところの性質の差がとても大きく、加工が難しいと感じています。木目の硬いところは硬くて、やわらかいところはスカスカなのです。
 このように非常にやっかいな性質を持つカラマツですが、天カラとなるとこれが高級材となるのです。
 これはいったいどうしてなのだろう、とずっと不思議でした。それで今までは、天カラということに意味があるのではなく、それだけの年数を経ていることが大事なのではないかと思っていました。
 つまり、先ほど、カラマツの材料としての欠点に、ねじれるということを挙げておきましたが、この性質は、大体60歳から70歳くらいになると、消えていくからです。天然のものには、樹齢が100年以上のものも珍しくはないので、これは天然とか、人工とかの問題ではなくて、単に樹齢の問題だと思っていたのです。だから、今、山にたくさん生えている人工のカラマツも、ちゃんと育ててやれば、よい木になっていくのではないかと漠然と思っていました。
 ところが、どうもそれだけではないようなのです。地元の人から、山に生えている状態での、天カラと人工カラマツの見分け方を教わりました。天然物は、種からその場所で生えているので、根の張りが太いことと、枝が丈夫なので、比較的下のほうにある、もう枯れてしまった枝でさえも太くて立派で、しかもたくさん残っているということです。
 この、枝の話を聞いて、わたしは今まで引っかかっていたものが、すとんと腹に落ちた気がしました。
 確かに、普通のカラマツは、下のほうの、枯れてしまった枝は、付け根から落ちてしまっていることが多く、あまり残っていません。そういう中で、ごくたまに、このような枯れ枝がたくさん残っているカラマツに出会うことがあります。このような木は、ほかのカラマツのすっきりとした姿に比べて、野性的な力強い印象を与えてくれます。あれが天カラだったんだ、と妙に納得しました。
 それではなんで、天然物と、植えたものではそういう違いが出てくるのだろう、という疑問が湧いてきます。
 その理由の一つとして、わたしは成長の早さがあるのではないかと考えています。
 カラマツは、若いころの生長が早い木で、この地方にこれだけたくさん植林されている理由のひとつはここにあります。つまり、成長が早いので、早く収穫でき、早くに収入が得られるということです。だから、今ある人工林は、そのような意図をもって植えられています。少し粗植気味に植えて、一本一本の木に十分太陽があたるようにし、早い成長を促すということです。
 ところが、はじめに書いたように、カラマツの年輪のやわらかいところは、スカスカなのです。だから、成長が早ければ、スカスカな部分が多くなるということで、木がそれだけもろくなるということなのです。たぶん、それが、枯れた枝が幹の付け根から落ちてしまう理由なのだと思っています。
 これに対して、天然カラマツは、芽吹いたときから周りとの競争にさらされているので、じっと我慢しながら生長していきます。天然カラマツの丸太を見ればわかりますが、年輪が芯のところからぎゅっと詰まっています。だから、枝がかれてしまっても、多少の風が吹いても、幹の付け根から折れてしまうようなことがないのでしょう。
 それにしても、生まれた環境で、その後の性質がこれだけ決まってしまうなんて・・・。わたしは、人でもなんでもそうですけど、努力すれば何とかなると信じているのですが、三つ子の魂百までも、のようにどうしようもないこともあるのかな、なんて思いました。
プロフィール

ルーシェンカ

Author:ルーシェンカ
長野県の小海町で家具を製作しています。
家具のこと、木のこと、森のこと、その他の身の回りのことを紹介していきたいと思います。
メールアドレス atsushitakahashi@nexyzbb.ne.jp

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